さてさて、予言?通り「ゼロ人称」についてお話したいと思います。
皆さん、覚えていますか?
「○人称」って。
あの英語の授業でやったヤツです。
私は「一人称」で、あなたは「二人称」。
で、それ以外は「三人称」。
「私」は「悟り」だとか「瞑想」ってのは「ゼロ人称」の立場になることなんじゃないかなぁと勝手に感じております。
んじゃ、「ゼロ人称」ってなーに?
おいしいの?それ?
って話ですが、こいつは「一~三人称からでは五感を通じて発見することができないが、何となくやけに存在感だけはある空っぽの人称」とでもエゴ的に定義しておきましょうか。
エゴは日替わりサービスなので次はまた違うことを言ってるかもしれませんが。。。
よって、物質世界におけるどんなに凄いスピリチュアルティーチャーも所詮は一人称であるゆえ、「文字」や「言葉」で「悟り」とかいう現象を完璧には表現できないのであります。
ちなみにこの「ゼロ人称」の立場になると、「一~三人称って目があって耳があって…ほとんど大差ねーな…ってか一緒じゃん!」ってな驚きと感動を覚える確率が高いです。多分。
よってハリセンボンの近藤さんが「角野卓造じゃねーよ!」といくら言ったところで角野卓造であり、エゴの私であり、「私」なのであります。
つまり、渡る世間は「私」ばかりっといったところですかね。
おあとがよろしいようで。。。
osukinidouzo (火曜日, 15 10月 2013 17:37)
@アビーさん
目指していたものが消えた。
「アビーさん」おめでとう。
結局、この物質世界で目指すことなんて実在しないんですよね。
実在しないものに本気になっても「ぬかに釘」状態ですから。
どうぞ、ご遠慮なくゼロ人称の立場から「主人公アビーさん」や「私」のエゴちゃんである「脇役、私」をニヤニヤしながら覗き見しちゃってくださいね。
アビー (火曜日, 15 10月 2013 16:52)
は~なるほど!迷走してても何やってても「私」の活動ならそこに分離はないですね。今まで何になって何を感じようとしてたんだろ?「私」はこれ以上「私」にはなれないですもんねー。目指していたものが消えてしまいました!