「私」の立場になると、対戦型TVゲームにおいて誰も好んで選択しないであろう「コンピューターVSコンピューター」を選択しているような気分になります。
観ていて気が楽で何よりなんですが、たまにエゴちゃんが「ヒマだ!」と大騒ぎすることがあります。
そんなときには仕方がないので「1P(エゴちゃん)」を選択してあげて、ゲームの中でエゴちゃんに喜びや苦しみが訪れるまで待ってあげてます。
エゴちゃんの飼い主からすると、ゲームに登場する全ての要素(キャラクター、イベント、ダンジョンetc...)がとても愛らしいです。
でも「私」としては「コンピューターVSコンピューター」のほうが正直面白いんですよね。
おかげさんで最近はエゴちゃんを放置気味でございます。
エゴちゃんが「たまごっち」なら、多分もう死んでますね。
昔は全く分かりませんでしたが、芸人の板尾創路さんがプロ野球のTVゲームをコンピューター同士で対戦させて見て楽しむのも、いまここでは何となく分からんでもないです。
osukinidouzo (日曜日, 27 10月 2013 16:47)
@アビーさん
んんん?「頑張る」と何をしても真逆になっちゃいますよ(*_*;)
特に「しなきゃ」「すべき」の観念は真逆中の真逆ですね。
どうせ最後はあらゆる方法を捨てることになるんですから何となくでいいんですよ。
>わざわざ手放そうとしたり委ねよう
わざわざ手放したり委ねようとするならば、それは手放してもいないし、委ねてもいないですね。
どちらかと言えば「手放し」や「委ね」の観念に縛られている状態です。
本当に手放しや委ねの状態になると「私は手放している」「私は委ねている」って感覚もないですからね。あとから自我が「そういえば手放してたな」と気づくような感じです。
>やりたい様にやっていれば委ねていることになるのでしょうか?
やりたい様にやれるなら、それは素晴らしいことです(^ ^)
「やりたい様にやっていれば」とか諸々の条件が外れれば(←この表現も条件になっていますが)委ねていますよ、たぶん。
アビー (土曜日, 26 10月 2013 17:50)
いくつか前に下さったお返事に
これが駄目でも「何か」が別の方法を与えてくれる 。
とありましたが、気になります。
真の感覚に触れたいがために無を求めて何か頑張っちゃっている私の行動も導きなんでしょうか?「何か」に委ねるとかって、こういう取り組みの真逆な気がしますが、この頑張りさえ導きだとしたら、わざわざ手放そうとしたり委ねようとしたりしなくてもやりたい様にやっていれば委ねていることになるのでしょうか?
osukinidouzo (土曜日, 26 10月 2013 00:10)
@アビーさん
一つ大事なことを言うのを忘れていました。
自我があるのは決して問題ではありません。
『自我=私自身』と強く思い込んで、他の自我と比較してあれこれ悩んだり、他の自我を攻撃することが、この自我の世界における大きな問題です。
正直、「私」のエゴがこのブログを書くようになったのも、この問題をさっさと解決して、自我同士が互いに赦し認め合うような、平和と安心に包まれた世界に少しでもなればなぁと思ったのがキッカケです。
という訳で自我の存在自体は何も悪くありません!
むしろ自我を愛してやってくださいね。
osukinidouzo (金曜日, 25 10月 2013 23:23)
@アビーさん
もっと不真面目で良いですよ(笑)
なるほど、人によっては悟りの状態を顔なし人間と表現する人もいますね。(ダクラス・ハーディングとか)
平気です。他のエゴから見たら頭はちゃんとありますので(^^)
仮に鏡など自分の顔を確認するものがなかったら、人間誰しもが感覚的には頭なし人間なんでしょうね。おそらくダサイもクソもないでしょう。
さて、感覚的には目指す方向に沿ったルートを進んでいると思いますよ。
突然の出来事に案の定、自我がビックリしているみたいなので、しばらくの間は頭なし人間状態に慣れてもらいましょう。焦るのは時間を意識した自我の悪い?癖ですからね。
ちなみに身体も自我になりますが、だからといって問題はなーーーんもありませんのでご安心を(^^)
アビー (金曜日, 25 10月 2013 22:45)
変な表現をしているかもしれませんが、これでも真面目に取り組んでいますので!
身体も自我になりますよね?
アビー (金曜日, 25 10月 2013 22:33)
しばらく目を閉じて7つが無い世界を想像してみました。目の前には暗闇が広がっていて、何物も居ない…
と思いきや、ここで2つ目の身体がガッツリ感覚を主張してきます。身体の上に暗闇が広がってる?
頭だけに無限に広がる暗闇ボックスを被ってるみたいなダサいことになってしまいます!
どうしましょーーーーーーーー\(ToT)/
osukinidouzo (金曜日, 25 10月 2013 21:33)
@アビーさん
おお、やってくれましたか。
どうもありがとうございます。嬉しいです(^-^)
さて、答え合わせですが。。。
違います。
って言ったらどう感じました?
アビーさんがそう思ったらそれは正解です。
実際に「私」のエゴが想像しても無、無、無。でした。
じゃあ、もうちょっと想像を続けてみましょう。
次の想像です。
「その無から自我を探してみてください」
なかったらなかったで構いません。
自我が悩みの種みたいですし(^^;)
もし見つかった場合、この質問に答えを用意していただけると助かります。
「自我はどこにありましたか?」
身体のパーツを言ってもいいですし、心の片隅とかいう表現でも構いません。アビーさんなりの表現が聞きたいです。
さて、どうでしょうか?回答お待ちしております。
アビー (金曜日, 25 10月 2013 20:43)
個人レッスーン♪個人レッスーーーーン♪
しぶとく居残り組でお世話になりますです。
さっそく想像してみました。
そうしたら、爆睡してる時!無、無、無。無がいっぱい!ってなりました。
…こんな解答でいいんでしょうか??
osukinidouzo (金曜日, 25 10月 2013 20:00)
@アビーさん
いえいえ、謝ることではないですよ~。
ピンと来ないのは「私」でも変えようがないですから(笑)
ハッキリ言ってくださって嬉しいですよ(^-^)
うーむ、もしかしたらエゴちゃんが世に出回っているスピ本の「言葉」を額面どおり受け取ってる可能性が高いですね。
「内側にある愛」も「私」のエゴの実感を述べると、実際は内側なのか外側なのか、愛なのか黙って見守ることなのか、正直よく分かりません。ついでに言えば、深いのか浅いのかも謎です。
でも結局、「何か」は在るんですよね(+_+);
言葉で100%表現すると「 」の「」もいらないって感じです。
んー、確実に導ける保証はないですが、こんな実験してみましょうか?
言葉、身体、常識、お金、比較、理由、現実
この7つがない世界をエゴを使って想像してもらっていいですか?
別に7つが無理なら6つでも5つでもそれ以下でも構いません。
0でもOKです。
試してくれたら「私」のエゴはアビーさんに感謝をするでしょう。試してくれなくても「私」のエゴはアビーさんに感謝をするでしょう。真剣とか頑張りはどーーーーーでもいいです。
ちなみに、これが駄目でも「何か」が別の方法を与えてくれると思うんで大丈夫ですよ。
なんたってアビーさんも生み出した「何か」ですからね(^^)
アビー (金曜日, 25 10月 2013 18:48)
びぃーーーーーーーーーーん(ToT)
私にはわかりません。どこから来てるのかサッパリ。
どの実験も私にはいまいちピンときませんし。←失礼でごめんなさい。何だかさみしいです…
せめて自分の内側にある愛とか温かいものに包まれてみたいです。どうやったら感じられるのですか?自我の感覚が強いと無理なのでしょうか?私は自分の内側に深く入るってことが出来ません。自我感覚のままだけど、感じてみたいです。
osukinidouzo (木曜日, 24 10月 2013 23:34)
@アビーさん
あいよーーー!
面白さですか?「私」と同じ成分で出来ているくせに、よくもこんな訳の分からないことをするなぁと(笑)
面白いというか感心に近いかもしれんとです。
そうですね、逆によく観てやってください。
というか、ただ観る以外は何もしないほうが良いです。リアクションとかはなしで。
自我って観られると恥ずかしいのか、割とすぐ黙りますよ。
あとは自我の主張がどこから来ているのかよく観察してみてください。喋り始めが狙い目ですよ(-_^)
アビー (木曜日, 24 10月 2013 22:36)
「私」さーーーん!
コンピューターVSコンピューターの面白さってどこらへんですか?たまごっちだったら死んでるって、自我の主張をほぼガン無視してる状態多し。ってことですか?最近、よく喋る自我の主張はガン無視でもいいんじゃないかと思えてきました。しかし、ガン無視は気の毒な気もします。←これはガン無視でいいのでしょうか?
osukinidouzo (水曜日, 16 10月 2013 22:57)
@アビーさん
おおお、エゴちゃんが泣いておる。
「私」的には泣くのも素晴らしいので止めませんが。。。(常識的にはひどい)
今日は「私」のエゴちゃんが眠いみたいなので、明日のいまここで、「私」のエゴちゃんも大好きだった理屈っぽいメソッドを一つお話しますね。
最終的にそのメソッドはそこらへんにポイ捨てすることになるでしょうが。。。
アビー (水曜日, 16 10月 2013)
デザート食べてみたい…でもオマケですもんね。
非常にイライラします。だまし絵でもう一方が見えないイライラのようです。老婆ばっかで貴婦人見えません!
うええぇーーーーーーーーーーん。
osukinidouzo (水曜日, 16 10月 2013 20:47)
@アビーさん
毎度お世話になっております。
イラッときてるってことは凄く観察しやすいじゃないですか。
若干の語弊はもちろんありますが、「観察している状態」は、ほぼ「悟り」です。
ちなみに「観察しているもの」を探そうとすると見つからなくなります。
眼で直に自分の顔が見えないように。
おそらくですが、「こんな私はもう嫌や!もういらん!」って思ったときに、これまで「私」そのものだと勘違いしていたエゴちゃんが「私」とはまったく別のものだと腑に落ちるかと思います。
よって、家に帰るのも、スピ系フルコースのおまけのデザートを味わうのも、イラッとくるのであればアビーさんとアビーさんの「私」の自由であります。
ちなみに私もエゴちゃんが「私」だと思っていた時期は結構つらかったですよ。
いま思えばエゴちゃんの「イラッ」のおかげで「私」の立場になることができたので、 身を挺して自滅の道を選んでくれたエゴちゃんには何やかんやで感謝しておりますが。
アビー (水曜日, 16 10月 2013 19:37)
ふと思いました。
こういう記事を見ていると、わぁーそんな感覚を感じてみたーい。とか、嫌な気分に遭遇すると「何が楽しくてこんな気分に浸ってんだ!」アノ感覚が感じられれば何か違うのか?とか、あるかどうかもハッキリしないアレの感覚を想像してはイラッときます。私みたいな人は強制的にでもスピ系から離れた方がいいのでしょうか?" こんな世界や感覚がある"と思うからこそ求めてしまう気もします。元々ソレだってわかっても禁断症状がでます。 私みたいなスピ系フルコースをとりあえず味わった人は家に帰るべきなのでしょうか?