謎の実験第二弾です。
前回は主に自我遊亭聴覚さんにご活躍いただきましたが、今回は同門の自我遊亭視覚さんにご活躍いただきます。
いきなりではありますが、右の黒い点を見ていただけますか?
タネも仕掛けもないただの黒い点です。
さて、ここでこの黒い点を見ていただきながら、皆さんに確認してもらいたいことがあります。
皆さんの視界の限界はどうなっていますか?
おそらくですが、右の図ように見える範囲と見えない範囲がクッキリと分かれていないと思います。
どちらかと言えば、「視界の外の見えない何か」から、徐々にグラデーションのように視界が広がっている感じじゃないでしょうか?
たぶん、この「視界の外の見えない何か」も、前回の実験の「無音さん」同様、「私」な気がします。
本当に「私」って抜け毛くらいどこにでもいますね。
トラボルタ (金曜日, 25 10月 2013 02:38)
いやはや観察というのとはまた違ったようですね。
>エゴのレベルだと「五感では確認できないけど何か在る」を感じて、それが本当の私と認めるくらいが限界じゃないですかね。
なるほど。気づいた人はそういう実感を持つんですね。
「何か在る」が実感できないでいると、大元の私というものがどんなものかエゴが色々空想してしまいます。それで頭の中が堂々巡りをする日々ですが、私さんのブログを読んでると少しわかっていけるような実感があります。あせらずのんびり今後も楽しませてもらいますんでよろしくです!
osukinidouzo (金曜日, 25 10月 2013 01:06)
@ボルタさん
>私さんは上の文章で大元の私を観察していますね。
ん?どこの部分でしょう?してました?
エゴのレベルだと「五感では確認できないけど何か在る」を感じて、それが本当の私と認めるくらいが限界じゃないですかね。まぁそれを観察と呼ぶなら観察ですか。。。^^;
>ひょっとして大元の私はエゴを介してしか自分を観察できない。
大元の私「五感では確認できないけど何か在る」ってのは、エゴだろうが何だろうがすべて「大元の私から生まれてるなぁ」と観察する立場です。
大元の私が自身を観察する必要性ってあまりないと思うのですが。。。自身の存在は実感していますし。。。
トラボルタ (木曜日, 24 10月 2013 23:47)
トラさんってどこのフーテンの事かと思ったら自分の事だった(笑)
>いかんせん「何もない」ですからね(^^;)
ありゃ。何もなかったんですか。
大元の私がひとつデーンとあるのか、それとも大元の私A、大元の私Bというように
たくさんの大元さんがいらっしゃるのかと思い悩んでたんですが実は何もなかったと・・・
そうか。これが悟空の空ですね。
「絶対的で書き換え不可能な価値観」を共有している状態というのはまた深いです。
大元の私を的確に表現するのは難しいのだと思いますが、人格と言うよりも価値観の方がしっくりくるということですね。
確かに人格というとそこに何かありそうな気がしますが、価値観というと何かあるようには思えません。
なるほど。。
>ちなみに大元の私は「人格」っぽいですが、人格ではない気がします。
>「人格を観察する何か」のほうがエゴ的には良い表現かもしれませんね。
ちょっと待ってくださいよ。
私さんは上の文章で大元の私を観察していますね。
大元の私がエゴを観察していると思ったらエゴの方からも大元の私を観察していたりする。
そしてそのエゴを観察しているのは大元の私・・・
ひょっとして大元の私はエゴを介してしか自分を観察できない。
そういうことでしょうか。
うーん頭がこんがらがってきます(笑)
osukinidouzo (木曜日, 24 10月 2013 11:29)
@トラさん
>この時A君とB君が認識している大元の私っていうのは同じものなんでしょうか。
「同じもの」。。。
そうですねぇ、「違いがない」と表現したほうがエゴ的には理解がしやすいかもしれないです。
いかんせん「何もない」ですからね(^^;)
よって、物質的には二つのエゴが聖書でもコーランでもお経でもない「絶対的で書き換え不可能な価値観」を共有している状態になっているかと思います。
ちなみに大元の私は「人格」っぽいですが、人格ではない気がします。
「人格を観察する何か」のほうがエゴ的には良い表現かもしれませんね。
トラボルタ (木曜日, 24 10月 2013 04:24)
ジョンです。レスありがとうございます。
エゴにも癖があるって表現は斬新ですね!
エゴって何なのかまだまだわかりかねてますがそうなのかも?
目に見えるモノは「私出身」ぐらいで捉えるのががいい塩梅だということですが、
つまり大元の私は別にいるということですよね。
イメージとしてはその「大元の私」から枝分かれして全てに繋がっているという感じでしょうか。
うーむ。
ここで一つ質問です。
A君がその「大元の私」に気づいたとします。
大いなる存在とかよく言いますがここでは大元の私としてみます。
A君が大元の私に気づいて、大元の私から周りを見られるようになりました。
ちょうどその時B君も大元の私に気づいて、B君も大元の私から周りを見られるようになりました。
この時A君とB君が認識している大元の私っていうのは同じものなんでしょうか。
同じ場合、二人の「意識」は大元の私の中でどうなってるんでしょうか。
大元の私ってのは多重人格みたいなものなんでしょうかね(^^;)
osukinidouzo (水曜日, 23 10月 2013 18:47)
@招き猫さん
出汁って(笑)
ちょっとオモシロイくなってきた。エゴ的に言えば二人で(^^)
招き猫 (水曜日, 23 10月 2013 18:39)
さっきお風呂に入って思った事を投げやりにメッセしただけなんですが、えがったです。
なんかアレですね、訳解らんレシピを渡したら何となく何作りたいのか解ってしまうというアレかもですね。
「私」のレシピの出汁は無ですかね。
お!ちょっとオモシロイくなってきた。一人で(笑)
osukinidouzo (水曜日, 23 10月 2013 17:57)
@招き猫さん
このブログのアカウントを渡して良いほどの素晴らしい解説ありがとうございます(笑)
私もしっくりきてますよ~♪
同じ郷土愛を感じてもらって「私」のエゴも喜んでいます(^^)
なるほど~、鏡ですか。
確かに鏡に映るエゴちゃんを「私」だと思っている方には効果てきめんな気がします!
また何か良い方法あれば、悩めるエゴさんたちのために教えてくださいね!
「私」のエゴが頂上に着いたルートよりも簡単なルートはまだあるような気がしますので。。。
今後もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
招き猫 (水曜日, 23 10月 2013 16:21)
視覚で追う後ろ前みたいなもんですかね。
背中が見えずとも私です。一部です。
見えてなくても私です。鏡というツールを使うと見えるかもしれません。
何か使わずとも私と認識できます。
うーん。何が言いたいのかまとまりませんが、私の中ではしっくりくるんですよねぇ~
osukinidouzo (水曜日, 23 10月 2013 10:27)
@トラボルタさん
コメントありがとうございます。
なるほど、エゴにも癖があるっぽいですね。トラボルタさんは視覚がシックリきましたか。
>目に見えるモノも実は私
うーん、言葉にすると表現が難しいですが「目に見えるモノも実は『私』出身」くらいの感覚のほうがエゴにとっては理解が良いかもしれません。
目に見える物質的な変化やそれに伴うストーリーはエゴですしねぇ。
何でしょ、他に例えるなら「私」は土地で「エゴ」は建物といったところですかね。
「私」にとっては1つの建物にしか観えませんが、その中を1ルームにしたり、それを区切って2DKにしたりするのはエゴの役割だと思っています。
ただし、土地あっての建物なので、部屋の床が「私」ではないことだけは、エゴに勘違いさせないよう何となく気を配っていますが。
>キーを打つ手が止まる次第
皮肉にも「私」を感じるチャンスですね(笑)
そうですねぇ、ニュアンスでも構いませんので何かコメントを残していただければ、それに答えていきたいと思います。
エゴにとってちゃんとした回答になるかは別の話ですが。。。(^^;)
トラボルタ (水曜日, 23 10月 2013 05:27)
無音についてはよくわかりませんでしたが「視界の外の見えない何か」が・・・・「私」!?
私さんすごいですね。
衝撃を受けました。
・・・・。
でも目に見えるモノも実は私なんですよね。
実は私さんには色々質問したいんですが、いつも質問を書いている途中でこのようにわけがわからなくなってキーを打つ手が止まる次第です。